5月18日の特別授業は、名城大学の内田智秀先生に、「ヨーロッパが創りだした幻想の「日本」-テキストとイメージの歴史-」というテーマで、「中世と19世紀のヨーロッパ人が、どのように日本を見ていたか・見ようとしていたか」について授業を行っていただきました。
西洋に初めて日本の存在を伝えた文献は、マルコ・ポーロ(1254頃~1324)による「世界の記述」です。しかしその内容は伝聞によるもので、原本ではなく写本しか残っていません。
ヨーロッパとアジアの違いを強調するため、加筆・修正されている可能性もあるといいます。
実際、日本(シパンギュ)に対する「黄金の国」「カニバリズム(人肉食)」などの記述は、中世ヨーロッパにおける「アジアの典型的なイメージ」が描写されているにすぎません。
インドについて記した12~13世紀の他の文献にも、同じような記述がみられます。このアジアに対するイメージの源泉は、古代ギリシャ・ローマまで遡ることができます。
つまり、「世界の記述」が伝えたのは「日本という存在」だけであり、細かい記述は昔からヨーロッパにあるアジアの印象を書いただけなのです。
続いて、19世紀にヨーロッパで流行した「ジャポネズリー(日本趣味)」「ジャポニスム」についてご説明いただきました。ジャポニスムは、ヨーロッパにおいて18世紀から流行していたシノワズリ(中国趣味)の影響を下地に、その後発生したものです。1789年のフランス革命やナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征(1798~1801)の影響を受け、ヨーロッパ(西洋)では「停滞的な中国に対する幻滅」や「アジア(東洋)への郷愁」が広まっていきます。そこには、アジアへの偏見もみられます。
この状況下で、ヨーロッパの人々は、「開国しヨーロッパに学ぼうとする日本」に興味を持つようになります。ただ、ヨーロッパの人々が興味を持ったのは、「幻想としての日本」だったといえるでしょう。猥褻な浮世絵(春画)や官能的な日本人女性(芸者)など、ヨーロッパ的なモラルには反した風俗文化が「ジャポニスム」としてヨーロッパで流行しました。
しかし、日本の美術や建築、生活習慣に興味を持っていた人もいます。画家であるファン・ゴッホの作品からは、雨・夜の表現や遠近法に浮世絵の影響を受けていることが分かります。
このジャポニスムの流行は、軍事国家としての日本の登場を機に終わりました。しかし今でも、「スポーツ選手を侍に例える」「男性に奉仕する女性像」「忍者のコンテンツ化」など、幻想の「日本」は一部で残っています。ヨーロッパの人々がはるか遠くの「日本」をどう捉えてきたのか、多くの資料や作品を見ながら詳しくご説明いただき、大変わかりやすく面白い授業でした(日本語学科4年 O.M)。

